【再掲】東京大空襲



 73年前の東京大空襲では、一晩に約10万人が亡くなったといわれています。

 今日(10日)墨田区の東京都慰霊堂(墨田区)では、犠牲者を追悼する法要があったそうです。

 世間から孤立している生活を送ってるけれど、できることはこれからもしていこうと思います。

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(過去のBlogの再掲です)
1945年3月9日深夜、2機のB29が東京上空に飛来するもすぐに退去。
 空襲警報が解除され都民が安心して眠りについた翌3月10日、0時8分からB29による焼夷弾が約2時間半にわたり投下された。波状絨毯爆撃、何もかも焼き尽くした。

 記録によると、飛来したB29は344機、1機平均6トンもの焼夷弾を搭載していたといわれている。
 まず低空からアルミの細片をばら撒いて日本軍の電波探知機を無能にし、機体を照らしたサーチライトは機銃掃射で破壊しました。
 次に江東区・墨田区・台東区周辺にナパーム製高性能焼夷弾を投下し、火の壁を作り逃げまどう人々を猛火の中に閉じ込める作戦をとりました。
 その後、約100万発ともいわれる油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン(高温・発火式)焼夷弾が容赦なく投下され、逃げ惑う人々は超低空から機銃掃射で殺戮されました。画像
米軍撮影写真

 この無差別爆撃によって非戦闘員(戦争とは無関係の一般市民)10万人が犠牲になりました。
 こんなに犠牲者が多くなったの要因の一つは、学校の卒業と進学のため、疎開先から帰っていた児童が沢山いたためといわれています。
 また、当時吹いていた風速30メートルの強風は火の勢いを一層激くし、一般市民を無差別に一塊の炭と化すまで焼き尽くすことになりました。
 これらのこと(お国事情や気象)は米国の作戦に、おりこみ済みだったのでしょうか。
画像
当時警視庁のカメラマンだった石川光陽氏撮影の記録写真

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 戦後四十年、当時の出来事や忌まわしい記憶も、年をおうごとに薄れて、一見して平和に見える繁栄のもとに人々の脳裏から忘れ去られようとしています。
 戦禍から一命をとりとめ助かった方々も長い間苦しんで、高齢化もすすんできました。
 空襲の被害者救済のため、被害者補償法の制定が必要ではないでしょうか。

 政府は軍人・軍属などには軍人恩給や援護年金などで総額60兆円もの補償・援護をしています。
 一方で、一般民間人への被害補償は、戦後拒み続けてきているのが現状です。
 国家総動員法(1938年)によって一般民間人を半ば強制的に戦争に駆り立てた責任は、政府にあります。
 早急に戦争被害者を救済する法整備を行うことが重要です。
 あわせて、このような悲惨な戦争は二度と起こさない「平和」への行動も重要だと思います。

 平和運動は政治家や実力者になって世界を動かすことだけが行動ではありません。
 ビラをまいたり、署名を集めたり、折り鶴を届けたり、ゼッケンや缶バッチ付けて反戦平和をアピールするだけでもいいんです。 
 みんなが自分で出来ることを少しずつ行動し続けていけば、きっと世界は平和になるとおもいます。

 おしまい

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